いらすとやより
出生は不明
189年前後 卑弥呼が現れる
232年 新羅に侵入するも抵抗されたくさんの兵士が死亡する
238年頃 直属の家来を魏に派遣し、皇帝から金印と銅鏡100枚を授かる
247年 魏に狗奴国との戦いを報告する
248年頃 卑弥呼死去 死因・年齢は不明
分かっていること
- 邪馬台国に居住していた
- 鬼道と呼ばれる占いを行っていた
- 夫はいない弟が国家統治の助けをしていたいを行っていた
邪馬台国の場所は未だ不明で朝鮮半島から東に1200里ほど の場所にあったらしい
吉野ヶ里遺跡(地図赤①)がある北九州説と纏向遺跡(地図赤②)がある近畿説が有力である
稲作が伝わった後小さな村がいくつもでき、土地を巡っての戦いが続いていた
そんな長年の争いを終わらせ、占いを使いってに治めたのが邪馬台国の卑弥呼
人前に現れることはなく、占いの結果は弟が伝えていた。
また卑弥呼は天照大神という説があり天皇家の先祖ではないかとも言われている
墓は箸墓古墳ではないかと言われている
近年大和墳群の一つ黒塚古墳より卑弥呼の鏡ではないかと思われる鏡がたくさん出土されている(地図赤④)