万松寺所蔵
1511年 0歳 父織田信定・母含笑院(がんしょういん)の長男として勝幡城(しょばたじょう)に産まれる(地図赤①)
1526年 15歳 父より家督を譲られる
1532年 21歳 織田達勝・藤佐衛門と争うが和議
このとき自分の権威を示すため勝幡城に公家を招き連日蹴鞠の会を開催する(地図赤①)
1534年 23歳 織田信長が産まれる
1535年 24歳 松平清康が暗殺された隙をついて三河を攻める
1538年 27歳 今川氏豊(うじとよ)の居城である那古野城を奪い居城とした(地図赤②)
1539年 28歳 自ら築上した古渡城(ふるわたりじょう)に居城を移す(地図赤③)
1540年 29歳 安祥城を攻略する(地図赤④)
1542年 31歳 今川義元(23歳)との第一次小豆坂(あずきざか)の戦いに勝利する(地図赤⑤)
1544年 33歳 斎藤道三の居城稲葉山城を攻めるも大敗する(地図⑥)
1546年 35歳 織田信長(13歳)に那古野城をゆずる(地図赤②)
1547年 36歳 三河の松平広忠を攻め岡崎城を攻略し嫡男の竹千代(徳川家康)を人質にする(地図赤⑦)
※嫡男・・・正室の産んだ最も年上の男子
1548年 37歳 末森城(すえもりじょう)を築城し居城を移す (地図赤⑧)
今川義元(29歳)との第二次小豆坂(あずきざか)の戦いに敗北する(地図赤⑤)
1549年 38歳 押され気味となっていた斎藤道三と織田信長・濃姫の結婚により 和睦
人質となった庶子信広と竹千代の人質交換を行う
1552年 41歳 末森城で倒れそのまま死亡 2~3年前から体調が悪くなっていた(地図赤⑧)
万松寺で葬儀を行われるがその際織田信長に抹香を投げられる(地図黒①)
織田信秀の墓
万松寺から平和公園(千種区)に移されている(地図黒①)(地図黒②)
また末森城の跡地にできた城山八幡宮(地図黒③)に霊廟があったが、現在は桃巌寺(地図黒④)で信行(信勝)と共に供養されている
居城を変えながら経済基盤を拡大し織田の勢力を伸ばし、一代で織田家を大きくしていった
尾張の虎と呼ばれていた
お酒が好きで早死にの原因になったとも言われているです