政秀寺所蔵
1492年 0歳 産まれる父は平手経秀
※平手家のルーツ不明
織田信秀に仕えていたのは判明しているが、信秀より10歳年上と言うことから父親の信定(織田信長の祖父)から仕えていたのではないかと言う説もある
※宿老(しゅくろう)・・・経験豊かな老人の事
志賀城の城主であり、織田信長の傅役(もりやく)でもあった(地図赤①)
※傅役(もりやく)・・・養育係 じいや
織田信長の初陣を見守り、濃姫との婚姻を取りまとめるなどやり手であった平手政秀は茶道や和歌にも通じていた
1553年 61歳 父親である織田信秀の遺体に抹香を投げるなど様々な奇行を嘆き切腹する
※駿馬をめぐる長男五郎右衛門と織田信長の確執に悩み切腹したという説もある
(織田信長が五郎右衛門の馬を欲しがったが、断られた事を逆恨みした)
切腹した平手政秀を弔うため織田信長が政秀寺を創建した(地図黒①)