いらすとやより
1157年 0歳 伊豆の国の豪族北条時政の長女として生まれる
1177年 20歳 伊豆の蛭が島(地図赤③)にに流刑されていて、父時政が監視役を務めていた源頼朝と恋に落ち伊豆山神社(地図赤④)で忍び逢っていた
父時政の妻(北条政子の義母)が平家の家臣であることから、山木兼隆と結婚が決まっていたが、婚礼の夜に源頼朝のもとへ逃げ出した
2人は太鼓橋※逢瀬橋(地図赤⑤)で劇的な対面を果たす
平家に遠慮をして反対をしていた父だが 翌年二人の最初の子大姫が生まれると、結婚を認めることに
1180年 23歳 鎌倉に移り住む源頼朝が平家討伐のため挙兵すると御台所と呼ばれるようになる
源頼朝が敗戦し安房に逃げるとこの間北条政子は走湯山(地図赤⑥)に身を潜め源頼朝の安否を心配していた
その後密かに秋戸郷(地図赤⑦)に身を移す
1182年 25歳 2代目将軍となる頼家を出産
源頼朝は安産祈願のため鶴岡八幡宮の若宮大路の段葛(だんかずら)を造ったと言われている(地図赤⑧)
1185年 28歳 壇ノ浦の戦いで平家が滅ぶ
この歳三代目将軍実朝出産
1199年42歳源頼朝が急死するその後出家して 尼御台と呼ばれるようになる
1203年 46歳 妻の一族ばかりを重用するなど勝手な政治を行っていた頼家を出家させ、修善寺(地図赤⑨)に閉じ込める
1204年 47歳 父北条時政により頼家が殺される
1205年 48歳 父北条時政の実朝暗殺計画を知り助け出す
1219年 62歳 鶴が岡八幡宮(地図赤⑧)で頼家の子に実朝が暗殺される
実朝暗殺後名ばかりの将軍を藤原家から招き、 父時政や弟義時とともに政治を行うようになり尼将軍と呼ばれるようになる
1221年 63歳 朝廷の後鳥羽上皇が義時を討てと命令したことから、朝廷対鎌倉幕府との争いとなる※承久の乱(地図赤⑩)
皇室を恐れる武士たちに「頼朝公の恩は山より高く海より深い」と伝え奮起させ京都へ攻めこむ
1224年 67歳 弟義時が亡くなると、後妻(継室)である伊賀の方が謀反を企てたとして伊豆に流刑する
この直後伊賀の方は鎌倉に強い恨みを抱き亡くなり怨霊が北条政子の御台に現れ女房たちが驚き死んでいった
この怨霊は北条政子の前にも現れ祈祷をした・・・が
1225年 68歳 勝長寿院(地図赤⑪)で闘病していたが死亡
北条政子は妊娠するたび浮気をした源頼朝の相手の女の家を壊すなど恐妻家として有名だが 、義経の愛人静御前に男の子が産まれ源頼朝の命で由比ヶ浜に沈められ殺されたときに静御前をたくさんの贈り物等で慰める優しい一面もあった
※ 北条政子は頼朝に赤ん坊の助命を願い入れるも頼朝はこれを聞き入れなかった
北条政子ゆかりの地
◆広徳寺 ※源頼朝の重臣 美尾屋十郎廣徳をしのび建立(地図赤⑫)
◆乗蓮寺 ※ 北条政子が化粧のために使った色がある(地図赤⑬)
北条政子の墓
◆安養院 (地図黒③)
◆勝長寿院